真田丸の真田昌幸と徳川家康の対戦成績は?武藤喜兵衛の戦いも

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大河ドラマ「真田丸」で、真田昌幸(草刈正雄)と徳川家康(内野聖陽)とのライバル対決が注目です。

 

真田丸は真田信繁が主人公ではありますが、真田家と徳川家の戦いでは信繁の父である

 

真田昌幸が主役同然

 

となります。

 

特にドラマでは「徳川家康は真田昌幸に何度も煮え湯を飲まされる」というのが強調されますが

 

真田昌幸と徳川家康との実際の対戦成績はどうだったのでしょうか?

 

気になったので、戦(いくさ)の簡単な内容と共に二人の戦績をまとめました。

 

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真田昌幸と徳川家康の対戦成績は?

 

大河ドラマ「真田丸」のストーリーは、長篠の戦いが終わった後からスタートしていますが、武藤喜兵衛(真田昌幸のこと)と徳川家康が最初に対決した「三方ケ原の戦い」から二人の対戦成績を見てみます。

 

1)三方ケ原の戦い(1572年)

武田信玄 vs 徳川家康+織田信長

武田軍 兵力:2万7000〜4万3000

連合軍 兵力:1万1000〜2万8000

結果:武田軍の勝利

(武藤喜兵衛(真田昌幸)の勝ち)

 

この時は真田昌幸がまだ武藤喜兵衛(むとう きへい)と名乗っていた頃ですが、武藤喜兵衛はもちろん武田軍です。

(ちなみに武藤喜兵衛という名前も武田信玄が授けた名前です)

 

この戦では、徳川家康が篭城している浜松城を素通りした武田軍が、城を打って出て来たきた家康軍を迎撃して大勝利を収めます。

 

信玄の策略で野戦に誘い込まれ大敗した家康は、武藤喜兵衛にさんざん追い打ちされて討ち死に寸前まで追い詰められます。

 

 

2)長篠の戦い(1575年)

武田勝頼 vs 織田信長+徳川家康

武田軍 兵力:1万5000(諸説あり)

連合軍 兵力:3万8000(諸説あり)

結果:織田・徳川の連合軍が勝利

(徳川家康の勝ち)

 

三方ケ原の戦いから3年後に、信長と家康の『リベンジ』の機会が到来します。

 

武田の騎馬隊といえば当時は泣く子も黙る最強軍団でしたが、織田信長は日本に入って来たばかりの最新兵器である鉄砲3000丁を戦に持ち込むという新しい戦闘スタイルで迎え撃ちます。

 

さらに信長は鉄砲玉を込める時間をカバーするために1000丁ずつ順番に打つ「三段打ち」を考案して、武田騎馬隊を玉砕するという歴史的な戦いを見せました。

 

真田家もこの戦で信綱(長男)、昌輝(次男)が討たれたため、三男である真田昌幸が真田家を継ぐことになります。

 

ちなみに大河ドラマ「真田丸」は長篠の戦いから7年経った、1582年からスタートします。

 

3)第一次上田合戦(1585年)

真田昌幸 vs 徳川家康

真田軍 兵力:2000

徳川軍 兵力:8000

結果:真田軍の勝利

 

この戦いは「真田丸」の見どころの1つになるかと思いますが、真田昌幸と徳川家康のガチンコ対決です。

 

ただし戦力的には真田昌幸側が圧倒的不利となります。しかし、昌幸の優れた知略が炸裂して大軍で攻めて来る徳川軍を撃退し敗走させることになります。

 

真田丸ではこの戦いで真田軍が勝ちはしましたが、真田信繁の最愛の妻である梅(黒木華)を失うこととなります。

真田信繁と梅ときりの三角関係の恋のゆくえはこちら

 

4)第二次上田合戦(1600年)

真田昌幸 vs 徳川秀忠

真田軍 兵力:3000

徳川軍 兵力:38000

結果:真田軍の勝利

 

この戦いは真田昌幸と徳川家康との直接対決ではないものの、真田昌幸が徳川家康から離反して関ヶ原の戦いに向かう徳川秀忠と戦ったということなので、大きな意味では真田昌幸と徳川家康の対決に入れました。

 

この戦いも兵力だけみると真田軍の圧倒的不利

 

なのですが、真田昌幸は本当に知略の武将なのですね。

 

篭城していた真田昌幸は、徳川の策略にかかったように見せかけて城を打って出るもののすぐに敗走します。徳川軍は追い打ちをかけるべく真田軍を追いかけますが、これが真田昌幸の作戦でした。

 

城の中で待っていた真田軍の別部隊が追って来た徳川軍に奇襲をかけて、見事真田昌幸が勝利します。

 

とはいえ、関ヶ原の戦いでは徳川家康が勝ち、離反した真田昌幸は真田信繁と共に九度山へ蟄居(ちっきょ)となります。

 

5)大坂冬の陣/夏の陣(1614年/1615年)おまけ

この戦いは徳川家 vs 豊臣家の戦いで、この時すでに真田昌幸は亡くなっていますので、おまけではありますが

 

特に大坂冬の陣は「真田丸」の見せ場となります。

 

真田昌幸の息子、真田信繁(真田幸村)が出城「真田丸」を築いて奮戦します。

 

今までは父の昌幸が目立ち過ぎ(?)で、ここまで真田信繁はかなり地味な活躍でしたが、この大坂の陣での信繁の勇猛ぶりが後世に語られ、後に真田信繁がモデルとなった真田幸村というヒーローが誕生することになります。

 

そして真田信繁は大坂夏の陣にて討ち死にとなりました。

 

ということで、真田昌幸と徳川家康の対戦成績をまとめます。

 

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真田昌幸と徳川家康の戦績まとめ

 

大河ドラマ「真田丸」は真田信繁が主人公ではありますが、真田家と徳川家の戦いという点では真田信繁の父 真田昌幸が知略を発揮して徳川家康を苦しめることになります。

 

そこで真田昌幸と徳川家康の戦績を振り返ると

 

1)三方ケ原の戦い(1572年) 真田勝利

2)長篠の戦い(1575年) 徳川勝利

3)第一次上田合戦(1585年) 真田勝利

4)第二次上田合戦(1600年) 真田勝利

 

ということで、「真田と徳川の戦績は3対1」、となりました。

 

ただ第二次上田合戦は真田昌幸の勝利でも、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利ですので、ここは引き分けとすると

 

「真田と徳川の戦績は2対1(1引き分け)」

 

という感じでしょうか。

 

二人の対決はもう少しあるかなと思ったのですが、まとめると意外と少ない!?ですね。

 

いずれにしても目立つのは真田昌幸の知略です。兵力で圧倒的不利な状態でも頭を使って勝つという戦いは見ていて気持ちが良いですので(徳川ファンとしては全然気持ちよくないと思いますが)

 

大河ドラマ「真田丸」では、どう描かれるのか楽しみにしたいと思います。

 

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