あさが来たの白岡あさと新次郎の結末は?原作の最後からのネタバレ

asasin

 

朝ドラ「あさが来た」が中盤にさしかかって面白くなってきました。

 

そして「あさが来た」を見ていると、だんだんと気になり始めてくるのが

 

『主人公の白岡あさと新次郎さんの結末』

 

です。

 

「あさが来た」は原作「土佐堀川」をうまく脚色しながら進んでいるものの、もはや脚色というよりも原作から大きくストーリーを変えてしまっているところもあります。

 

ですのでドラマ「あさが来た」の結末が原作通りになるか!?というのも見どころですが、

 

そこで原作「土佐堀川」の最後の結末はどうなっているのかまとめました。

 

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広岡信五郎(ドラマの新次郎)さんの最後は?

 

白岡あさの実在モデルとなっている広岡浅子さんのキャラクターは、ドラマと原作で違っているところが結構あります。

 

中でも目立つのは、原作の広岡浅子さんは最初っから

 

激しい肺の病気と闘っている

 

という点です。

 

広岡浅子さんは、加島屋(ドラマの加野屋)に嫁いだ時からすでに咳込むことが多く、特に幕末の銀目廃止(ドラマでも両替屋にお客が押し寄せて大変でしたが)が少し落ち着いた後に

 

広岡浅子さんは胸が気持ち悪くなり喀血(吐血)

 

してしまう程の重い肺の病にかかっていました。

 

その後も前代未聞の女性借金取りとなって大名をまわったりしますが、この時も常に咳の病気に苦しみます。

 

ドラマのあさは元気の源のようなキャラクターなので、ここはかなりギャップのある所ですね。

 

それでも広岡浅子さんは、肺の病を克服して

 

・潤野炭鉱を買い上げて炭鉱事業を手がけます(ドラマでは加野炭坑)。

・加島銀行を発足させます。(ドラマでは多分加野銀行になると思われる)

・日本女子大学創立にも尽力します。

・生命保険会社「大同生命」を発足させます。

 

決して長くはない一人の人生の中で、ここまでの事業を立ち上げるというのは、改めて広岡浅子さんが明治を代表する女性実業家と言われるのがわかります。

 

特に大同生命を発足させるきっかけとなったのは、浅子さんが逆恨みされて刺されるという殺傷事件に遭い生死をさまよったからでした。

 

そんな時期のことです。

 

大同生命を発足してしばらくした頃、夫の広岡信五郎さん(ドラマでは新次郎さん)が多忙を極めます。

 

この頃は浅子さんと信五郎さんの会社が絶頂期を迎えていて、二人ともまさに死ぬ程忙しかったのです。

 

その信五郎さんの肩書きは、すごいことになっています。

 

【絶頂期の信五郎さんの肩書き】

1)尼崎紡績の社長(後のユニチカ)

2)加島銀行頭取

3)大同生命副社長

 

原作では、この時の信五郎さんは、あの浅子さんよりも多忙になっていたそうです。

 

つまり、これをドラマで再現するとしたら

 

新次郎さんがあさよりも仕事で多忙になる!?

 

ということですが、今のところ想像できないですね。

 

そんな信五郎さんもこの時60歳を越えていて、ついに過労からか次第に食欲を失くして具合が悪くなっていきます。

 

その後、信五郎さんは回復できず、明治37年(1904年)6月に亡くなります。

 

信五郎さんは恐らく63歳(1歳くらいずれるかもですが)、浅子さんは56歳の時でした。

 

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あさが来たの原作の最後は?

 

「あさが来た」の主役白岡あさのモデルとなった広岡浅子さんは、夫信五郎さんが亡くなるまでに

 

・肺の病気

・殺傷事件

 

という困難を経験しますが一命を取り留めました。

 

その後、3度目に浅子さんを襲ったのが

 

「乳がん」

 

です。

 

浅子さんの娘の亀子さんがその異変に気付いたときは、すでに浅子さんのしこりが赤子の頭程になっていたそうです。

 

直ちに東京帝国大学病院で検査して入院となります。

 

そして東京帝国大学病院で、その3日後にすぐ手術となりますが、手術は無事成功。

 

なんと広岡浅子さんは3度目も命拾いすることとなりました。

 

しかし、浅子さんが無事に退院して喜びもつかの間、悲しい連絡を受けます。

 

広岡正秋さんが亡くなったという知らせです。

 

広岡正秋さんは、ドラマでいうと榮三郎(栄三郎)さんです。正秋さんが浅子さんの身代わりになったようなタイミングだったので本当にショックだったと思います。

 

そしてドラマがもし原作通りの展開となれば、新次郎さんや榮三郎さんよりも、なんとあさが一番長生きすることになります。

 

この頃の加島屋の景気は絶頂期です。

 

売上はうなぎ上りで事業は盤石なものとなり、浅子さんは自分たちの資産を把握できなくなるほどの資力を持て余したので、多くの寄付や、次の世代への教育に力を入れたとされています。

 

特に女性の活躍には力を注いだようで、この時に実は以前の朝ドラ「花子とあん」のヒロインだった村岡花子さんとの出会いがあります。

 

村岡花子さんが広岡浅子さんが主催する勉強会に参加して勉強していたという面白い繋がりもあります。

 

そんなある日。

 

浅子さんが自宅で倒れます。

 

病院では腎臓の機能障害という診断が下されます。しかし、この時は丁度大同生命の本社を移転する直前でした。

 

大同生命の移転先のビルは、外装内装共に贅沢な外国の輸入品が使われ、3年かけて建てたビルです。

 

そこで浅子さんは周りの心配を押し切って、大同生命ビルの竣工式に出席し、浅子さんの晴れ舞台としてこんな挨拶をしています。

 

 

「うちは、どんな困難に出遭おうとも、いつもこれからが本番や思うてやってきました。生涯が青春のような気いで、事業に取り組んできました。これからも加島屋のために、大阪の実業界のために烈々たる気概でいこうと思うてます。本日はほんまにありがとうはん、本日はほんまにおめでとうはん」

 

そして、この締めくくりの挨拶の後、控え室に戻り、ソファに腰をかけて深く身を沈めると、意識を失います。

 

その後、病院へ運ばれ一時は意識を取り戻しますが、その後再び昏睡状態となり眠るように亡くなったそうです。

 

大正8年1月14日のことで、広岡浅子さんは数えで71歳の生涯でした

 

あさが来たの原作の最後まとめ

 

あさが来たの原作「土佐堀川」での最後は、白岡あさの実在モデルとなる広岡浅子さんの最後で終わりとなります。

 

広岡浅子さんは、「肺病」「殺傷事件」「乳がん」と3度も命の危険にさらされながらも、3度とも命拾いをします。

 

しかし、その間に夫の広岡信五郎さん(ドラマの新次郎)や広岡正秋さん(ドラマの榮三郎)を亡くして、3人の中で最後に亡くなりましたが、その分多くの悲しみも経験することとなりました。

 

浅子さんの最後は、腎臓の機能障害が原因で、家族に看取られて数えで71歳の生涯を閉じることとなります。

 

ドラマでも同じ展開になるかどうかは、若干微妙と言いますか、今の展開を見ていると全く違った脚色になるのでは?という気はします。

 

特にあさの姉はつの生涯が史実では25歳となっていますが、ドラマではファンの強い要望により!?はつの寿命が延びて、もっと長生きすることになりましたし

 

はつと惣兵衛の子供たちも、史実では女の子ですが、ドラマでは藍之助と養之助という男の子になっています。

 

この辺りの脚色が、あさが来たの結末に大きく影響すると思いますので、あさの最後だけ原作通りというのは難しいのではなかろうか!?などと思う次第です。

 

いずれにしても「あさが来た」の結末がどう描かれるのかというは楽しみですね。

 

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One Response to “あさが来たの白岡あさと新次郎の結末は?原作の最後からのネタバレ”

  1. とうきょう紙飛行機 より:

    またお邪魔しに来ました^ ^*
    こちらの記事もまた楽しく、興味深く読ませて頂きました。
    どうもありがとうです。

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